5年ほど前かな。
あれ、もしかして睡眠障害?
と思い始めたのは。
でも病院に行っても検査大変だし、
世の偏見に勝てる気がしなくて、
この年齢になるまで行こうとは思えなかった。
就職して、
本当は起きたいのに居眠りしてしまって、
上司や先輩、同僚からもおかしいと言われ、
それでも自分ではどうしようもなくなって、
初めて病院へ。
さすがに検査してると時間かかるし、
とりあえずだけれど、
先生に睡眠障害だって言ってもらえて、
本当に助かった。
主にこころが。
だって好きで仕事中に寝てないもの。
甘えだ。
学生と違う。
社会人の自覚がない。
わかってる。
わかってるよ。
でも怒られるとわかっていて、
本当に好きで寝てるわけない。
我慢したいよ、してるよ。
でも話を聞こうとすればするほど、
気がついたら寝てるの。
会議終わった後に腕に爪痕残るほど刺しても、
寝てしまってて。
皆は起きれるのに何であなたは、
って、そんなのわたしが一番思ってる。
辛いなぁ。
明日は休み。
睡眠薬が合うといいけれど。
前にも少し触れたけれど、
わたしは目標なんていらないと思ってる。
勿論、
目標というツールを有益に使えたり、
それがモチベーションになる人にはいいと思う。
でもそれが重荷になる人は?
目標を作ったところで何一つやる気が出ない人は?
それって本当に意味のある行動かな、と。
例えば、
果樹園に行ってりんごを収穫するとして、
この木には平均何個のりんごが実り、
何平方メートル毎に平均何本の木があるから、
およそ何平方メートルを回っていくつ収穫する、
って決めて動く方が楽な人もいたら、
いやもう目の前に沢山あるし、
それをとりあえずもぎ取りにいけばいこうよ、
って人もいると思うの。
目標ってあくまでやる気を見せるツールで、
強制するものではないでしょう。
ある大企業がノルマを廃止したみたいだけれど、
そういう動きって、
本当に意味があるのかな。
ノルマが目標にとってかわるだけではないの?
むしろノルマという体でないことって、
会社に有利なだけでは?
無理やり決めさせられる目標って、
それ即ちノルマと同義では。
心に嘘ついてでも、
世間体とお金を選んだ結果、
日々この様な自問自答が止まらなくなりました。
次は明るい話ができるといいな。
ずっと言わないようにしてきた言葉があります。
自ら死を選ぶような言葉は避けてきました。
それを言ってしまった途端、全てが終わる気がして。
それなのに。
今日初めて言葉に出してしまいました。
だから逃げます。
現実では無理だから。
せめてここで。
この世はあまりにも辛い。
気力がないものは淘汰される。
生きる気力も、
目標を作る気力も、
それに向かって尽くす気力も、
何もかもが足りなくて。
人と違う。
他人と違う。
言われ続けてきた言葉だけれど、
何もかもが所謂普通と違うのに、
生きてきたレールは普通過ぎて、
周囲に理解されないまま。
目標なんてなくていい、
そう誰かに言ってほしくて、
誰かに伝えたかった。
“社会人”という枠組みは、
あまりにも窮屈で。
だからといって、
起業やフリーターは生半可な気持ちで選べず。
だって生活があるから。
でも気力もないの。
生きるのって、苦行だよね。
幸せの押し売り。
誰かが何か出来ないのにあなたはできる、
恵まれてる、って。
だからなに。
感じた心を無視すればいいの。
“正しい”認識に変えなさいってこと?
無理でしょう。
だって生きてるんだから。